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題名:ハトの「ちょーだい攻撃」から考える、ヒトの欲望性への言及:そのⅣ
報告者:エゲンスキー

 本報告書は、基本的にNo.1102の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の報告書にて一旦、報告を終えたつもりであった。しかしながら、最後の文面に示した「何かを求める際の対価を考えることなしに、何らかの共通項ができてちょうどよかったわね、という一方的な形式のもとでの「ちょーだい攻撃」、それが、人の〈欲望〉、あるいは、その性質である」と締めくくった内容について、ここでさらに、考察を深める必要性を感じた。それは、特に、何らかの共通項について、あるいは、「ちょーだい攻撃」と〈欲望〉との繋がりについて、である。これを明確にしないことには、言及として成立しないかもしれないことが危惧された。そこで、本報告書では、これについて論じるものである。
 まず、ハトの「ちょーだい攻撃」の状況を図示すると、図のようになろうか。ハトaという集団があり、ヒトAという集団があるとして、ヒトAはそのハトaに「エサをあげたい」とする。すると、2つの集合 a、A において、ある規則(「エサをあげたい」)によって a のどの要素にも、A の要素が1つずつ対応しているとハトが認識した時に、a から A への写像となり、f:a→Aとなる。そうすると、ハト側からのアクションとして「Attack of the Pigeons」が起こる。ただし、その写像におけるハトの認識は、〈欲求〉に基づくものである。アクションの要因は、動因と誘因に分けられるが、肉食獣の捕食行動と対比させると、空腹が動因となり、小動物の発見が誘因となる1)。すなわち、ヒトの「エサをあげたい」結果、あげたエサがハトの空腹の動

図 ハトaからヒトAへの写像

因を、ヒトのエサで誘因する形となり、その欠乏充足がある中で「Attack of the Pigeons」が起こる。ゆえに、メスを求める本能がインストールされたオスが、メスが得られなければ、これを欠乏として感じて、メスを求めるような本能的における相対的欠乏に対する充足動機がそこにあることから、これは〈欲望〉ではなく、〈欲求〉となる1)。報告書のNo.1101でも示したように、「ハトが欲しがるのは、純粋にエサのみである」とは、このことに相当する。ただし、集団:ヒトAの「エサをあげたい」と集団:ハトaによる「Attack of the Pigeons」は図で示したように、認識の濃さの違いはあっても、そこには、共通項が存在する。あげる-もらう、の関係である。すなわち、ハト側にすれば、その〈欲求〉は、それまでの生き方を継続していく上での必要なものを求める営みであり、そのエネルギーでもあることから、コレを求めなければならぬ死活の必然性があり、そこには選択の余地がない1)。報告書のNo.1100でも示したように、世界中の都市にいるハト4億羽のうち、毎年35%ものハトが亡くなっている実情から鑑みれば、当たり前のハト側のアクションでもある。次のそのⅤにて、ヒトの「ちょーだい攻撃」と〈欲望〉との繋がりについて考えを深めたい。

1) 黒石晋: 欲望するシステム. ミネルヴァ書房. 2009.



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