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題名:生きる意味を「それだけが、生きる意味なんだ」で邂逅スル ver 0.0.0
報告者:ダレナン

 時に思考がつまったり、とだえたりすることが多々ある。それは、思考停止に至る直前でもあろうか。その時にふと、頭に浮かんだよしなしごとをGoogleにて検索すると、スルスルと得られる回答は、それが正しいか、正しくないかはさておき、なるほど…、と思えることもある。それが、例え一個人の記述であったとしても、そこには何らかの回答、ヒントも得られることも大いにありうる。
 さて、表題にある“邂逅”であるが、日常に使われないこの言葉は、さっぱりと意味が分からない。そして、読み方も分からない。はては、この漢字は何画あるのかさえ、パッとしない。これが日本語であるのかさえ、クエスチョンである。そこで、思考停止がもたらされる前に、この“邂逅”についてスルスルと検索する。
これは、“邂逅”(かいこう)と呼ぶらしい。その意味は、「(スル)思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。「旧友と邂逅する」」1)とある。そして、不思議なことに、なぜかここでも“(スル)”と出た。スルスルの検索によって“(スル)”と出た。それが気になる方は文献1)を見て頂きたいが、“(スル)”とある。ここで、不思議な因果関係が起こる。1939年のレオ・マッケリー監督による映画は「邂逅(原題:Love Affair)」であるが、それもまた「めぐり逢い」によって再び“邂逅”として巻き起こされる。それはまさしく、頭の中のリメイクでもあるに違いない(映画「めぐり逢い」はレオ・マッケリー監督の1957年のリメイク1))。
 こうして幾度となく訪れる思考によって、人生における何かを感じる。それは、人生の意味かもしれない。それを考えること自体、無意味なのかもしれない。以前の筆者の報告書のNo.764にて問うた人生の意味であるが、そこにはナチス強制収容所体験から人生を生きる意味を深く問い続けた、ヴィクトール・エミール・フランクル博士にとても、生きることについてのコペルニクス的な転回が必要であったことを示唆している。そしてコペルニクス的な転回によって、「純情のアフィリア」からの何らかの啓示によって、再び“邂逅”されし人生の意味を、「それだけが、生きる意味なんだ」ということに気付き始める。図に純情のアフィリアの「それだけが、生きる意味なんだ」のジャケットを示す。「純情のアフィリア」のプロデューサーである志倉千代丸氏によれば、同曲は「ファンの皆

図 「それだけが、生きる意味なんだ」2)

さんが現代の魔法遣いである可能性を示唆しているんです」と説明しつつ、「会いに来てくれる事、声援を送ってくれる事、支えてくれる日々の言葉。これらも同じく「魔法」と呼ぶ事は出来ないだろうか? それらの全てがアイドル活動を続けていく彼女達の「生きる意味」に繋がっている可能性。これは「純情のアフィリア」に限らず、現代のアイドル全員に言える事なんじゃないか? そんな風に考えながら作らせてもらった楽曲です」とある3)。これを読み解くと、一体、そこに何が見えてくるであろうか。
 そう、間違いなく、報告書のNo.981で示したトポロジーが、ここで色彩を帯び始めたことに気付く。

1) https://kotobank.jp/word/%E9%82%82%E9%80%85-457201 (閲覧2018.12.11)
2) https://www.amazon.co.jp/それだけが、生きる意味なんだ-通常盤E-純情のアフィリア/dp/B078952JCB (閲覧2018.12.11)
3) https://natalie.mu/music/news/275644 (閲覧2018.12.11)



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