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題名:愛の盤面におけるすごろく的な原理として
報告者:ダレナン

 スタート、サイをふる。世の中には様々な職業があり、様々な役割がある。そして、様々な人間模様がある。しかしながら、結局のところ、科学的見地云々は抜きにして、その様々な要因の中、根底で占められる要因は、愛とそれにまつわる関連、ではなかろうか。簡単に問えば、人類は、愛の盤面ですべてが始まり、すべてが終わる。それは、性別としてだけではない。やっぱり、愛すること、それは、人類にとっての共通の財産に違いない。結局ところ、人類の果てなき興味は、人類(ホモ・サピエンス)自身と、それを生み出した宇宙に集約され、そして、そこから産み出された愛という概念につきる。芸術も宗教もそのベースから始まる。しかしながら、人類にとって身近な、人と人の間における愛自体も、そのこころの座にあるコントロール方法がままならない。自身が感じる愛と、他身が感じる愛との、間には、いつも隔たり(温度差)があり、それは人それぞれの感情に委ねられている。そして、そこに、軋轢が生じると、常に人間関係がこじれる。飛び火して、芸術と宗教への考えにも、それは影響を及ぼす。しかしながら、芸術と宗教のどちらも、根源を突き詰めると、やはり人間関係の愛に根差す。もしかして、それは、単純な原理かもしれない。3ポすすむ。
 一方、愛で得られる最たる効果の一つに、ヒーリングがあろうか。多大なる愛に包まれることは、その人にとってある意味、究極のヒーリングである。場合によっては、神秘経験、あるいは、スピリチュアル経験としても、それは位置づけられる(報告書のNo.1139も参照)。その元となるのは、過去の偉大な人類的な存在としての神的な人であっても、今現在のすぐそばにいる恋人でも、同じ位置づけで示され、時代に変わらず、愛は、同じ次元として、ともに存在する。これも、もしかして、単純な原理であろうか。2ホさがる。
芸術に疎い人でも、無宗教の人であっても、愛という概念は漠然と理解できる。ただし、その歴史的な時間を跨ぐ背景、古の神などは別としても、さらには、それは今と比較することもできなくとも、愛からもたらされるヒーリングは、時代を経ても変わりはしない。そこに愛の偉大さがある。簡単に語られようとも、簡単に理解できない愛の奥床さとして、人類のこころに占められる。そのような様々な愛からのヒーリングとして捉えるならば、これ以後は、いわゆる現生として恋人から得られるであろうヒーリングに関してクローズアップすることが、話題として身近になるかもしれない。なお、所謂「神からの合一」としての究極のヒーリング愛であり、神に委ねられた神秘的合一に関しては、報告書のNo.1139で記述した。いずれその思考と指向の拡張に伴い、懲りずにまた別途でも(ベッドでも)記述するかもしれない。やはり、それは、もしかして、単純な原理としてあるのか。1カイやすみ。
 一方、性別は英語ではsexとなる。一応、ヒトは雌雄同体でなく、雌雄異体となることから、そのsexの区分として、オスとメスと分けることができる。しかしながら、現在の性の多様性から考慮すると、単純に男と女という区分は意味をなさない。ただし、性的比較的観点から互いに影響を受けるのは、愛ゆえによくある事実である。そのため、そのような性別比較的観点からのヒーリングは、それを総称するとセクシャル・ヒーリングとなる。I’m still learning to love としながら、AzeeのSexual Healing (prod. by Jovis)がそれを目録してくれる(図)。ところが、結局のところ、愛の盤面におけるすごろく的な原理とは何か。スタートにもどる。

図 just take my body.1)

1) https://imgf.berke.li/@dynmk/page/2 (閲覧2019.4.13)



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