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題名:現実の車窓から眺めた生きる屍的な詩点
報告者:ダレナン

 揺れる列車は線路が続く限り走り続ける。時おり、通り過ぎる駅は見えつつも、その列車は駅に停車することなく、走り続ける。気がつくと、思えば遠くに来たもんだ、となる。遥かな旅路を夢見ていた列車の乗る前のワクワクとしたこころを懐かしく恋しく思えども、乗ったが最後、走り続ける列車には停車場はない。その車窓から眺める様々な景色もはるか通り過ぎ、列車の中の同じ座席からの眺めしか、いつしか見なくなる。そうして、どんどんと速度を上げてゆく列車は、やがて光速にも似て、車窓からの景色を白色化させる。列車の外にある世界は広いのにも関わらず、こころの揺れる列車は留まることを忘れる。それが現実であろうか。現実の車窓を眺めると、そこには外の景色はおろか、屍の顔しか映らない。その屍はまさしく現在の自分なのであろうか。
 生きる屍は、トレンド的な言い方では、むろんゾンビとなる。そう考えると、走り続けて、停車を忘れた列車の中には、もはやゾンビしか存在しないこととなる。そのゾンビが求めるのは、明らかに外の景色ではない。止まらない列車でも、偶然にその列車に乗った生ける人を求める。Keep Away(近づくな)、Zombies Inside(中にゾンビ)、Don’t Open(開けるな)、Turn Back Now(今すぐ引き返せ)と列車のドアに書かれていても(図)、乗ったが最後、その人もやがて生ける屍へと転化する。「肉をくれー、肉をくれー」と言葉としては発しないも、不思議と「肉」を要求する。ただし、実際のところ、その「肉」は、生ける屍にとって栄養でも何ものでもない。ただの、生ける屍の本能的な欲求を満たすだけの「肉」でしかない。しかしながら、常に欲する。
 ここで、逆説的に問えば、ゾンビは列車の中にはいなのかもしれない。列車の外にゾンビがいる。世界は広くとも、本能的な欲求を満たすだけの「肉」にまみれた世界があふれている。
 一歩離れて、列車の外からその景色を眺める。光速に近づいている列車は、時空を歪め、外からの人にとっては、ただの光の軌跡にしか見えない。しかしながら、その光と波長があった時、列車の窓の内側が観察できる。そして、そこには生ける屍が、互いに「肉」を欲している様子がよく観察できる。ただし、その生ける屍の特徴を捉えると、不思議とその特徴は自分とまったく同じである。顔形だけでなく姿も自分と同じである。
そうして、列車の車窓は、窓ではなく、鏡であることに気づく。鏡であることが分かると、列車はもはやそこにはない。内も外も、現実的に生ける屍にあふれている。

図 ドア1)

 あー、今日もまた、「肉をくれー」。と、本能的にさまよい続ける。

1) https://www.pinterest.jp/pin/128774870578162124/ (閲覧2019.4.18)



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