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題名: 「背中を掻いて頂戴な」的な青色・桃色吐息に関する世紀の血闘
報告者:エゲンスキー

 明治、大正、昭和、平成と時代が流れ、その次に来たのは、令和であった(2019年4月1日に発表)。その和号に込められた考えなどは、ここで示すまでもない。検索にて他を当たれば、すぐに分かる。一方で、今の時代に、昭和レトロや昭和風とあるように、平成もいずれ平成レトロ、平成風とその時代を象徴するが如く、何かが見返されるのであろうか。
 図とて、現実的には今と同じ風景を留めてはいないが、図で示される「背中を掻いて頂戴な」2)は、今でもコンテンツの一部として1959年2)(昭和34年)からの豪華3本立てとしてその姿を留めている。ただし、Amazonでもその映像の扱いはもはやない3)。その映像における情報、例えば、「背中を掻いて頂戴な」は、1959年の作品で、監督は尾崎甫氏、出演者は三井弘次氏、吉川満子氏、有沢正子氏、上映時間69分であることは文献2)からも紐解けるが、令和な時代で、「背中を掻いて頂戴な」が再び脚光を浴びるか否かは、誰も分からない。結局は、それが、時代の分かれ目における「世紀の血闘(血)」へと繋がることになるのであろう。
 画像や映像のコンテンツは、デジタル時代との親和性が高く何となくでもその痕跡を残しやすいも、ビジネスそのものや、そのモデルなどは、世相を反映して、ゆく者、くる者、さる者と分かれ、時代の波は容赦しない。先頃、かつて寿司の庶民化として名をはせて

図 昔の町並み1)

いた小僧寿しに関して、今や青色吐息(窮地に陥ったときにつく弱々しいため息のこと、または、そのようなため息が出る苦境のこと4))となったことも詳細に報告されている5)。その時代の波を作り出しているのは、その時代からの人々の世相であるが、近年ではAI(人工知能)もその波に乗っかり、明らかに先の読みにくい時代となった。まさに、時代の分かれ目の「世紀の血闘(血)」でもある。
 海の波は、常にその姿を変え、その場で形を留めることはない。それと同じく、時代の波は「金色 銀色 桃色吐息 きれいと言われる 時は短すぎて」6)という桃色吐息風でもある。この先、令和に、どのような”order(秩序),” and “peace(平和)” or “harmony(調和)”7)がもたらされるのかは、当たるとも言われている多くの預言者でも、令和という新和号を外したことから、この先も預言者からの情報は信用できない(もともと信用しているかは別)。「背中を掻いたら」預言を「頂戴」できるような能力があれば、時代の吐息も感じられようか。

1) http://ashzashwash.tumblr.com/post/オールジャンルのオージャン(閲覧2019.4.2)
2) https://movie.walkerplus.com/mv26135/ (閲覧2019.4.2)
3) https://www.amazon.co.jp/s?k=背中を掻いて頂戴な&__mk_ja_JP=カタカナ&ref=nb_sb_noss (閲覧2019.4.2)
4) https://www.weblio.jp/content/青色吐息 (閲覧2019.4.2)
5) https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1904/02/news050_4.html (閲覧2019.4.2)
6) https://www.uta-net.com/song/4549/ (閲覧2019.4.2)
7) https://www.j-cast.com/2019/04/01354085.html (閲覧2019.4.2)



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