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題名:ちぐはぐ
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1912の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 ス―パーの「生しょうが入り手もみ若鶏もも竜田揚げ」で涙し、泣きながら、僕は買い物を終えた。僕の中の”くっくどぅーどるどぅ”も泣いていた。クミちゃんとの記憶がどんどんと繰り返すにも関わらず、僕はもうすでに、若鶏ではなかったからだ。
 そして、買い物帰りに走行するうちに、自転車で走行するうちに、そうこうするうちに、あやうくも自転車で転げそうになった。注意も三万となり、買い物も気がつくと三万となる。この前チャージしたのに、早くも三万近く買い物をしている。どういうことなんだ?
 PayPayの履歴とあなたの残高は、酷にもそれを示していた。
 そうして、いろいろなことを年取るたびに、目の前の風景も退色し、かつての職場も多くの人が退職し、中には無職のまま、人生の墓場で透明となる。透明人間が現れ、そして、消える。でも、誰にも見えない透明人間はこの世にいないのと同意義だった。
 そうだ。かつて、透明人間の小説を書いたことを思い出した。原稿用紙にして5枚ほどだったろうか。あの時から比べると随分と成長した。今なら、何枚でも書ける。ただ、何枚書こうとも、そこにあるイメージは貧困だった。それは僕の財布、いや電子マネーと同じだろう。僕は、限りなくボンビーだった。
 ストレスはたまらないが、単純な業種は、それほど給料も高くない。妻のシズコの方が今やずっと高級鶏だった。老化した鶏では、砦もなく、竜田揚げにもなれなかった。居候してるかのような、ひものような暮らし。
 妻シズコは、1年前の僕のクミちゃんとの本気(妻にしてみれば、それはワカモト・クミちゃんとの浮気として認識されていたが)のことを根に持っているのだろうか。それとも、もう終わったこととして処理されているのか。1年、たった1年で僕は随分と年老いた。それは、18歳でわたしは年老いた、というマルグリッド・デュラス現象とよく似ていた。
 心と体と、それらはちぐはぐに、僕は、いささかイルディコー・エニェディを夢見てた。毎晩二人は同じ夢の中でそれぞれメス鹿とオス鹿となって交流していた1)、それは、今となって振り返れば、僕とクミちゃんのヒヨコ物語のようだった。I still think about you、Brian McKnight。
 かつての僕は、ヒヨコで、若鶏だったんだ。
「しょうがねーな」 ふと、そうつぶやいた。自転車で転げそうになった時に、少し足をくじいたようだった。その足首を手でもみもみして、「しょうがねーな」と僕は再びつぶやいた。自転車を手で押しながら、公園のベンチで座った。一服しようかと思った。でも、たばこは吸えない。そこで、買い物のときに珍しく買ったクリアドライコーラを飲んだ。飲み終わった後、ハイネケンとは違って足が若干、千鳥足になっていた。その千鳥足は、99.99%の確率で僕の体をよたよたさせ、心はヒヨコに戻されたような気がした。立ち上がるとかなりふらついている。そのちぐはくさに、僕は再びベンチに座り込んだ。
(もう、いい加減に竜田ら…)
妻シズコの声が頭で響いた。(はよ、生しょうが入り手もみ若鶏もも竜田揚げを、わたしに頂戴よ)

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/心と体と (閲覧2020.12.7)



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