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題名:夢は夜ひらくは、斜め45度で嘶くパンドラの箱
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1185の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 精神世界を巡る過酷な日々を送ると、そこには、腹痛がある。その腹痛の原因を、祓いたいと思えども、かたはらいたしとする身体は、何かに憑かれたように、ちゃんちゃらおかしい1)。そのちゃんちゃらおかしいは、またの意を、笑止するという1)。ただし、少子高齢化の社会において、その笑止は、ばかばかしいとはいってはいられない。深刻な問題である。死と生の問題で問えば、まさに死に体(存立基盤が失われて人などが倒れかかっている状態2))となり、精神世界が崩壊する。「あー、ほーかい」と揶揄するは、こちらも憂慮すべき深刻な事態である。
 生けとし生けるもの全ては、生の導きにあるが、薄れていく何かは、さびしさが募る(No.1185)。あの時は生きていたはずなのに、いまの時は死んでいる。そこから、「お前はもう死んでいる」となりし、「我が生涯に一片の悔い無し」との関わりでもって、それは光武酒造場の芋焼酎の如く25度の世界をさまよう。そうして、閃くのだ。道は線ではなく、未知と未知の点を繋ぐ行為なのだ、と。あるいは、未知は船ではなく、道と道の店を繋ぐはしご酒なのだ、と。そうして、今日も振り返る。「我が生涯に一片の悔い無し」がいいのか? それとも、「お前はもう死んでいる」がいいのか?
 今日もまた、「圭子の夢は夜ひらく」が如く、「はしご酒」をする。ふらふらと歩きながら、ふと、気づく。「そういえば、ケイコさん。首筋にほくろが、二つ、あったっけ?」…(図)。それは、まさに、店と店を繋ぐ意図なのだ。意図せずにも伸びる糸は、複雑に絡み合って、もはやほどけない。ほどこうと努力しても、ますます絡み合う。その殻見愛こそが、ヤドカリ同士が、互いに家を見探す愛ある行為にも似て、入口の寸法をハサミで測ることを認める。そうして、心地よいと思われた住みか(殻)も、やがて脱ぎ捨てなくてはならない時が来る。その時こそが、はしご酒という店と店を繋いだ、ほくろという点と点を結んだ、斜め45度の角度になり、光武酒造場の芋焼酎の度数よりも倍以上へと導かれる。酩酊状態は、酩酊情愛となり、陶酔情愛(報告書のNo.1183も参照)なる極限の快楽を得られる奇妙なパズル・ボックスなるパンドラの箱が開けられる。そうして、ヘル・レイザーの魔道士(セノバイト)であるピンヘッドは嘶くのだ。
 ピンヘッド:「畜生め!(Jesus Swept!)」3)。
 ケイコさん:「また、お店にいらしてね~。」

図 ケイコさん4)

「はい。」と返事してしまう。その誘いに、罠にはまると思えども、お酒は二十歳からなのだ。

1) https://www.google.com/search?q=かたはらいたし (閲覧2019.5.8)
2) https://www.weblio.jp/content/死に体 (閲覧2019.5.8)
3) https://middle-edge.jp/articles/JFpj1(閲覧2019.5.8)
4) https://d.wattpad.com/story_parts/112423062/images/142f2bee627dd721.jpg(閲覧2019.5.8)



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