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題名:可能な限りつまびらかな愛の断片を追って -PartⅠ:遍歴的叙述編-
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1119の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 「こころの中で過去に時間旅行することと未来に時間旅行することは、人間だけが持つ同じ能力の二つの側面である」1), 2)と提唱したのは、オーストラリアのクイーンズランド大学の心理学者Thomas Suddendorf博士であるが、その時間旅行的なこころの在り様は、人間が持つ複数の記憶システムによっている。記憶システムを区別すると、物事のやり方の記憶(手続き記憶)、事実についての記憶(意味記憶)、そして、出来事についての記憶(エピソード記憶)と大まかに3つとなる1)。例えば、レストランへ行き、食事をすることを考えると、レストランとは何かが意味記憶となり、そこで何が起こるかがエピソード記憶となる2)。さらには、食べ方が手続き記憶となる。このことから、先の報告書に示したHASM(非常に優れた自伝的記憶)者は、自己の出来事に関するエピソード記憶と関連が特に深い症例と言えよう。そして、過去、および、未来へのこころの中の時間旅行といったエピソード記憶やエピソード的見通しの2つの能力は、ヒトの脳内では同じ領域で活動し、こころと脳は根本的に結びついていることも示唆されている1)。結局、先の報告書に記述されたその内容は、例え、意味のないがらくたの塊であったとしても、空想や没頭に基づく記憶的エピソードの脳内の証となる。ゆえに、筆者は、文献1)の題にもあるが、空想を語れる→ヒト存在として、若干頭がぼーっと(ぼっ頭)しながらも、ここで続きとして記述できる。

図「愛の断片」の一場面5)

 一方、つまびらかとは、「くわしく明らかなさま。こまかい点まではっきりしているさま」3)を意味するが、ぼーっと(ぼっ頭)しながらも、愛の断片(Fragmentos de Amor)を可能な限り想い出してくーのである(くー想)。なぜなら、儚い愛の断片は、履かない靴のように、内では居心地はよくても、外では納まりがつかないからである。すなわち、愛の断片を追うことは、自らの過去・未来へのこころの時間旅行を遡り、Hay un fragmento de datos aislados.(流れてきた情報の断片がある)として、その形を、脳外でのエピソードとして記憶(叙述)できるはず、とSuddendorf博士のこころの時間旅行理論に開眼したからに他ならない。
 愛の断片(Fragmentos de Amor)は、フェルナンド・バジェホ監督による映画(図)である。随分と前に見たことから、ほとんどの詳しい内容は想い出せない。さらに、文献4)にもあるように、星5満点で、2.9の映画である。2.9しか想い出せないかもしれない。しかしながら、手元に「老いと死、どっちが怖い?」との問いに対して、ロドリゴ(調律師):「君のいない惨めな老後」、スサーナ:「死ぬこと すべてが終わるから でしょ?」とのメモが残されていた。これはなぜ残したのか。そうして、目隠しをしたこころの旅行が始まる。

1) ズデンドルフ, T: 現実を生きるサル 空想を語るヒト. 白揚社. 2015.
2) Suddendorf, T., Corballis, MC.: Mental time travel and the evolution of the human mind. Genetic, Social, and General Psychology Monographs 123: 133-167, 1997.
3) https://www.weblio.jp/content/つまびらか (閲覧2019.3.28)
4) https://filmarks.com/movies/72216 (閲覧2019.3.28)
5) https://www.videodetective.com/movies/fragments-of-love-us-trailer-/222129 (閲覧2019.3.28)



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