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題名:文章のランボーな醍醐味
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1260の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 どんどこどこどこ、どんどこどこどこ、として太鼓の音が響き渡る中、その太鼓の音は、太古への想いをもはせつつも、とあるロープの下をくぐることを余儀なくされる。ロープには炎が巻き付き、今にも火傷しそうなぐらいの熱さにあり、喉元を過ぎるみそ汁よりも熱い(No.1260)。炎のロープと地面の間は、50 cmぐらい。ただし、熟達者になると20 cmぐらいかもしれない。しかしながら、熟達していない今の輩(筆者)では、50 cmも危ないかもしれない。ただ、どんどこどんどこと太鼓の音は、そこをくぐれと、伝えている。今こそ、意を決して、くぐるときだ。そうして、今宵もダンスを踊る。そのダンスは、リンボー・ダンスだ。でも、くぐろうとしたその時、あまりの熱さに身もだえするも、くぐることがなかなかできない。そうこうするうちに、炎はますますと燃え盛り、くぐろうと思った瞬間に、ロープが胸に落ちた。「あちーっ」。失敗だ。
 失敗すれば、むろんリンボー・ダンスの主催者からは、「一銭もはらえねーなー」といわれる。そうして、リンボー・ダンスの後に踊るのは、そう、ビンボー・ダンスだ。と、またしても、夢を見る。リンボー・ダンスでの燃え盛る炎。その炎は、七色の光に持ちあふれ、レインボー。今度は、レインボーか。
 よく庭に水をまく時、時おり、出現するレインボー。そのレインボーは小さくても、胸躍る。大きな山と山の間にかかる虹がレインボーならば、庭に出現したレインボーも原理は同じである。そのレインボーにときめく時間は、水かけ時間だけであるが、空しい水かけ論とは異なって、そのレインボーが出来る水かけ論は、赤から紫までの光のスペクトルが並んだ円弧状の光で、太陽の光が空気中の水滴によって屈折、反射されるときに、水滴がプリズムの役割をするため、光が分解されて七色の帯に見えるとの論1)。子供の科学のWEBサイト「コカねっと!」2)でも明らかにされた、すでに、誰もが水かけしなくてもよいぐらいの確立した論なのである。ただし、レインボーが出て、あまりにも実験しすぎて、水を出し過ぎると、今度は、水道料金が跳ね上がる。そこで、再び、リンボー・ダンスが踊れなかったことに対する賃金的な問題として、ビンボー・ダンスを踊らざるを得ない。その時、まさに、ランボーとして、こう伝えたい。「この7年間ビンボーの悪夢が頭からずっと離れないんだ。目が覚めても自分がどこにいるのか分からなくなることがある。一日中誰とも話さない、時には一週間ずっと。忘れることができないんだ。」3)を一部改。そう、「エイドリアーン」なのであるが、ドリアンはさすがに臭いがする。ドリアン特有の臭いは、やがて匂いとなって、癖になる。それが、恋作という文章のランボーな醍醐味だ。それは、光

図 エイドリアンちゃん4)

が入っても、七色に輝く想い出となるに違いない(図)。エイドリアンちゃんは、そう目で伝えているのだから。

1) https://www.kodomonokagaku.com/hatena/?25d6719311455f45d753eebeec1bc4d3 (閲覧2019.6.4)
2) https://www.kodomonokagaku.com/ (閲覧2019.6.4)
3) https://ciatr.jp/topics/231338 (閲覧2019.6.4)
4) https://www.pinterest.jp/pin/765963849099978321/ (閲覧2019.6.4)



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