.

題名:やく23びょうのおよぎかたをまなんで
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1743の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 「そんなにあせらなくてもいいにゃん。いっきにかこをおもいだすと、たいへんだにゃん」

 しゅじいの「竜嘉久さん」とはなしをしていると、まざまざとかこをおもいだしているじぶんに、はっときがついた。ずいぶんとつかれている。ここのところ、すいみんもあさい。そこで、すいみんかぷせるにはいることにした。せんちょうは、だんすのつかれなのだろうか。すでにすいみんかぷせるないで、はなからちょうちんをだしていた。
 すいみんかぷせるによこたわると、とおくから、どんどこどこどこ、どんどこどこどこ、とまたあのおとがしてきた。つうしょうあまぞんがわのたいがんからきこえてくるあのあとは、なんのおとだろうか。ただ、かぷせるのふたをしめると、そのおとはきこえず、しーんとしたせかいになった。しーん・かぷせるほてる。にゅー・かぷせるほてる。こんなかんじだったろうか。が、ちきゅうのかぷせるは、すでに、わすれてしまっていた。そうおもいはじめていたやさき、まぶたがおち、ねおち、した。
 ゆめのなかで、あまぞんがわのゆめをみた。そこでは、たましいがさまよえるようで、まちがいなくじかんかんかくがなくなっていた。そう、「さまよえるかわ」。そのげんだいは、だいじゃのほうよう(ず)であったが、そんなゆめをみた。かわのながれにそってしんこうして、ねおちしているのに、ねおちしていない。きゅうに、はっとめがさめ、あれっ、いまのじかんっていつだっけ、あれっ、ここってどこだっけ、そうして、ふたたび「さまよえるかわ」をみはじめる。そのじかんがなくなったかんかくは、やく23びょうぐらいだろうか。ぷらいむなんばーのように、そのじかんたいが、ふしぎにおもえた。これが、「さまよえるかわ」のみりょく。まじっくりありずむで2)、いつしかぼくは、そのせかいにぼっーとうしていたようだった。どんどこどこどこ、どんどこどこどこ。

ず だいじゃのほうよう1)

 にんげんのしゅじいである「竜嘉久さん」は、しゃーまんカラマカテ2)のように、ぼくにたいして、たいちょうはどうですか、しごとはじゅんちょうですか、なにかおもいだしましたか、とといておる。でも、おもいだせない。おもいだせません。おもいだせないのです。あれっ、ここでは「竜嘉久さん」は、ねこでなく、にんげんだ。にんげんなんだ…。

 きがつくと、すごーくじかんがすぎていた。それはまるで「さまよえるかわ」のおおきなながれのなかで、ぼくはおよぎかたをまなんでいたかのようだった3)。

1) https://cinefanatico.com/el-abrazo-de-la-serpiente-al-festival-de-cine-de-cannes/ (閲覧2020.6.24)
2) https://natalie.mu/eiga/film/170596 (閲覧2020.6.24)
3) http://www.webdice.jp/dice/detail/5272/ (閲覧2020.6.24)



…「彷徨える河」の品への案内は、こちらになります。