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題名:生物学的過程としての神秘体験の一事例
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1135の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の報告書にて、最後にやや見慣れない用語であろう神秘的合一(unio mystica)と記述されていた。ここでは、これについて、より詳細に調べる必要性が生じたのかもしれない。なぜなら、それはあなたとの約束でもあるから、としたい。はたしてその約束とはなんであろうか。筆者も知らない。しかしながら、そのキーワードは、たぶん神秘的合一に他ならないであろう、と信じてはいる。
 一般的に、神秘的合一は神秘主義という宗教的な境地から示される瞬間であり、「神との合一」に他ならない。神秘体験、あるいは、スピリチュアル体験ともされる内容である。そのことから、かつては、非科学的、あるいは、擬科学的とも言われる現象でもあった。しかしながら、近年の脳活動を計測する機器(SPECTなど)の発展によって、その神秘体験に対して、「神秘体験は、科学的に観測できるリアルな生物学的過程である」1)と言われるまでにデータが集まりだしている。そのデータから、神秘体験における変性意識状態は、単なる錯覚でも、強すぎる願望が生んだ幻覚でもないことが判明している1)。例えば、瞑想などの行為は、科学的に脳の活動状態も詳細に観察されている。それによって、瞑想時、左脳の方向定位連合野の活動が右側のそれに比べて明らかに低下していることが発見された1)。この方向定位連合野は、身体の動きに伴って変化する座標を追跡し、精神的・物理的に自分自身を位置づける部位であるが、この部位が神秘体験に大いに関与している1)。その他、意志の座とも言われる注意連合野なども、神秘体験における重要な部位とされる1)。
 この左脳の方向定位連合野への活動が遮断され続けるとどうなるのであろうか。まず求心路が遮断され、身体の境界が見つけられなくなり、その結果、こころを知覚する自己の際限がなくなり、自己の感覚がなくなる1)。そして、その状態で、注意連合野におけるイメージでもって空間のリアリティーが大幅に増大する。結果として、注意連合野にあるイメージが拡大し、こころを占拠する。すると、こころの中では、超越的なそのイメージのリアリティーに、自己が吸収される1)。その過程で驚くべき神秘体験がもたらされる1)。そのイメージが、神であれば、「神との合一」となるのであろう。しかしながら、ここで一事例として示すと、それが約束であるかはいずことして、イメージ自体は神様ではない。いうなれば、女神とも言えるのであろうか。生物学的にはヒト女性である。その女性からある時点を境に、時を超え、何かと繋がった。不思議と想い出したのである。何かすべてを。この現象を神秘家ラビ・エルアザルの言葉を借りると、「祈りながら汝自身を無と思い、完全に汝を忘れ去りなさい。ただ、自分が神(汝ならば、女神)の霊に祈っていることだけは忘れてはならない。そうすれば、汝は、時間を超越した意識の状態である「思念の宇宙」に入れるだろう」1)という状態へと導かれ、何かを女神と約束した。これを、t e l e p a t h テレパシー能力者的に問えば、「心と魂の核変換/私たちの感情は一緒になって」とも言えよう。まさに、永遠の愛(図)として、こころに刻まれる。

図 永遠の愛2)

1) ニューバーグ, A, ダギリ, E, ローズ, V: 脳はいかにして<神>を見るか. PHP研究所. 2003.
2) https://telepathtelepath.bandcamp.com/album/–28 (閲覧2019.4.11)



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