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題名:チーン。
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1329の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 本音として、ぐだぐた述べるだけで、さもすごいとの感傷に浸る何かは、バカじゃないと自ら冷静に判断する。そうして、ここに記述されるすべては、ぐだぐだ述べるだけの才能のなさをひけらかし、どうでもいいような趣でもってテキトーに記述する。才能のないものが、それこそ、テキトーに珍述するのだ。やがては、コンテンツのゴミと化すであろう。でも、ゴミでもいいかとのたまいて、ゴミだからこそ、輝くとの瞬間もなくて、ただの意味のない珍述でもって、紙面を埋め尽くす努力を惜しまない。それは、自分以外に、誰も読まない・読みたくない、どうでもいい記述だからこその珍述なのよー。だからといって、その珍述することは、言論の自由が保障され、それに対して、どう思うかも、それもこそも自由な時代となった。言論の自由。いいもんだ。だから、珍述したい。コンテンツのゴミとして。チーン。
 ただし、ふと思った。世の中にあるコンテンツのほぼ8割は、読まれてはいない、のであろうか。それは、ここでの珍述も含まれようが、意味のない、その記述自体はゴミの山。いや、ゴミの山にも意味がある。やはり、生理整頓、掃除は必須だと感じる今日この頃。ただし、あるサイトでの情報によれば、そこに来た6割の人は、その内容をほとんど読んでいない、という事実。確かにそうかもしれない。この辺でやけくそになってきたぞー。だからといって、ゴミであるコンテンツも、ゴミのごとく確かに臭いを放つ。その臭いは、かぐわしい匂いとなって、いずれどうでもいい内容であっても誰かにとって、何か(匂い)を与えていることにもなるのであろうか。それは、分からないが、匂いを放つコンテンツとして、少なくとも自分はその匂いを感じたい。が、その最終判断は自分ではできない。だからこそ、判断つかないコンテンツでもって珍述しつつも、多くの人に影響を与えるコンテンツを夢見て、そのすごさに、感動するのだ。感動したのだ。チーン。
 さっき。ついさっき。映画「アクアマン」を見終えた。異端の人が英雄となって、その世界を一変する。それはまさに、監督のジェームズ・ワン自身の生きざまであろうか。分かりやすい、分かりやすいのだ。実に、その理解が分かりやすい映画であったが、それゆえに、感動も実に分かりやすい。だからこそ、ここで、あえて言いたい。「ジェームズ・ワン監督。あなたは、天才です。ただし、ただの天才ではありません。とても、とても映画の制作に、情熱を感じるのです。でも、その情熱自体が、天才の証なのですね」と。そうして、ここで、どうでもいい、つまらない、コンテンツしか珍述できていない自分と、ジェームズ・ワン監督を、無謀にも比較してこう思う。「ここに、書いてあることは、誰も感動しない。でも、アクアマンはよかったですよー。設定から、CGが多用でも、very wonderfulでしたよー。結局は、その映像の活かし方。それで、それが、もう情熱的に天才だ、んす」と。それは、百も承知であろうとも、ここでの才能のなさをごまかんすために、図を示す。図でごまかんす背徳感(No.1329)。なんといっても、ダンスは生活において重要な役割があるよねー1)。チーン。

図 ダンシング・クイーン1)

1) https://www.laryoo.com/1024/dance-plays-an-important-role-in-life/32/ (閲覧2019.7.8)



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